83人
乗客・乗員 シンガポール航空006便事故|83人の尊い命が失われました
あの日から 26 年
2000年10月31日の夜、台湾の中正国際空港(現在の桃園国際空港)で、シンガポール発・台北経由ロサンゼルス行きのシンガポール航空006便(ボーイング747-400型機)が、離陸の途中で滑走路上の工事機材に衝突し、炎上しました。乗っていた179人のうち、83人の尊い命が失われました。
何が起きたのか
その夜、台湾には台風(国際名シャンセン)が近づき、空港は強い雨と風で、見通しがとても悪くなっていました。006便は夜11時すぎ、離陸の許可を受けて滑走路へ向かいました。
空港には平行する2本の滑走路があり、006便が使うはずだったのは「05L」でした。ところが機体は、そのすぐ隣にある「05R」に入ってしまいました。05Rは一部が工事のために閉鎖されていて、滑走路の上には工事用の重機などの機材が置かれていました。
雨の中で加速した機体は、工事機材にぶつかって壊れ、火災が起きました。客室乗務員や乗客どうしが助け合って脱出し、96人が生き残りました。
数字が語ること
台湾の飛航安全委員会(ASC)の事故調査報告書などによると、乗っていた179人(乗客159人・乗員20人)のうち、亡くなったのは次の83人です。
- 乗客:79人(うち2人は病院で亡くなりました)
- 乗員(客室乗務員):4人
けがをした人は71人、けががなかった人は25人でした。
2002年4月にまとめられた報告書は、操縦士が滑走路を十分に確かめないまま、閉鎖中の滑走路から離陸を始めたことを主な原因とし、台風による悪天候も原因の一つとしました。一方、シンガポール運輸省は、閉鎖された滑走路の入り口に柵や目印がなかったことや、空港の照明・表示が不十分だったことなども大きな要因だとして、報告書は「事故の全体を示していない」と反論しました。原因をめぐる見方は、二つの国で分かれました。
忘れないために
事故から1年後の2001年10月31日、台北で追悼の集まりが開かれ、遺族や友人、生き残った人たち150人以上が集まりました。シンガポール航空は、事故の後「006」という便名を使うのをやめています。
この事故は、「いま自分がいるのは正しい滑走路か」を確かめることの大切さと、閉鎖した滑走路をだれが見てもわかるようにしておくことの大切さを、世界の空の関係者に強く伝えました。悪天候の中で急ぐときほど、一つひとつの確認が命を守ります。
犠牲になられた83人の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
Never Forget Number では、この数字「83」を記録します。
数字の出典
- 台湾 飛航安全委員会(ASC)事故調査報告書 ASC-AAR-02-04-001「Crashed on a Partially Closed Runway during Takeoff, Singapore Airlines Flight 006」(2002年)
- Taipei TimesASC最終報告書についての記事(2002年4月27日)
- Taipei Times事故1年の追悼についての記事(2001年11月1日)
- Aviation Safety Network「Accident Boeing 747-412 9V-SPK, 31 October 2000」
- Wikipedia「Singapore Airlines Flight 006」(参考)
この数字を、忘れないために。
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