9,885人
州政府の公式数 オディシャ・スーパーサイクロン|9,885人の尊い命が失われました
あの日から 27 年
1999年10月29日、インド東部のオディシャ州(当時の名前はオリッサ州)に、「スーパーサイクロン」と呼ばれる非常に強いサイクロンが上陸しました。強い風と高潮が海辺の村々を襲い、州政府の公式の数字で9,885人の尊い命が失われました。
何が起きたのか
サイクロンは、インド洋のベンガル湾で生まれる熱帯低気圧で、日本の台風と同じ仲間です。このサイクロンは10月29日の昼前、港町パラディープの近くに上陸しました。インド気象局(IMD)の研究によると、中心付近の風速は時速260〜270kmに達し、海面は20フィート(約6メートル)以上も持ち上がりました。
高潮は海から20キロ以上も内陸まで入りこみ、田んぼや家、道路を海水で覆いました。とくに被害が大きかったのは、上陸地点に近いジャガトシンプール県です。エルサマという地区では、海沿いの村がまるごと流されたところもありました。サイクロンは海岸に沿って12の県を襲い、風と雨は丸一日近く続きました。
11日前の10月18日にも、別の強いサイクロンが同じ州を襲ったばかりでした。収穫まであと3週間という時期で、人々の暮らしを支える稲も、ほとんどが失われました。
数字が語ること
9,885人は、オディシャ州政府が2000年にまとめた被害の白書にある、公式の死者数です。ただし、公式の数字にも少しずつ違いがあり、インド気象局の報告では9,887人、アジア防災センター(ADRC)の報告では9,893人とされています。また、村ごと流されて正確に数えられなかった人もいるため、地元では「本当はもっと多い」と言われ、3万人を超えるという推計もあります。
- 死者:9,885人(オディシャ州政府の白書)
- ほかの公式の数字:9,887人(インド気象局)・9,893人(ADRC)
- 直接被害を受けた人:約1,100万人(州の人口のおよそ3分の1、国連機関の推計)
- 失われた家畜:約40万6,000頭
数字の大きさは、建物や電気、道路、通信が一度にこわれたことも物語っています。州の通信網は上陸の日の朝のうちに止まり、助けを求める声も、被害の様子も、しばらく外に届きませんでした。
忘れないために
このとき、気象局は3日前から警報を出し、海の近くの約15万人が避難しました。赤十字が建てていたサイクロン・シェルター(避難用の丈夫な建物)は、約3万人の命を守りました。それでも、これほどの強さを前に、備えは足りませんでした。
その反省から、オディシャ州は1999年12月に、災害への備えを専門に進める州の機関「オディシャ州防災庁(OSDMA)」をつくりました。海沿いには、ふだんは学校などに使い、いざというときに避難場所になる多目的シェルターが建てられ、村ごとの避難計画や訓練も進められました。「早く知らせ、早く逃げ、丈夫な場所に集まる」ことが、命を守るいちばんの方法だと、この日が教えています。
犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
Never Forget Number では、この数字「9,885」を記録します。
数字の出典
- Odisha State Disaster Management Authority(OSDMA)「OSDMA Overview」
- S.R. Kalsi「Orissa super cyclone – A Synopsis」MAUSAM(インド気象局の学術誌)
- Asian Disaster Reduction Center「Report on Recovery and Reconstruction Following the Orissa Super Cyclone in October 1999」
- ActionAid India「Odisha Super Cyclone」(州政府白書2000年の死者数)
- Wikipedia「1999 Odisha cyclone」(参考)
この数字を、忘れないために。
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