68人
災害関連死を含む 新潟県中越地震|68人の尊い命が失われました
あの日から 22 年
2004年(平成16年)10月23日の午後5時56分ごろ、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8の地震が起き、川口町(いまの長岡市)で震度7を観測しました。この「新潟県中越地震」で、68人の尊い命が失われました。
何が起きたのか
震源の深さは約13km。山あいの集落が多い中越地方を、土曜日の夕方、激しい揺れが襲いました。その後も強い余震がくり返し起き、人々は眠れない夜を過ごしました。
山の斜面では地すべりや崖崩れが3,700か所以上で起き、道路は寸断され、川は土砂でせき止められました。山古志村(いまの長岡市)は村に通じる道がすべて途切れ、全村民が村の外へ避難することになり、ヘリコプターで運ばれました。
長岡市内では、走っていた上越新幹線「とき325号」が脱線しました。乗っていた人にけが人はいませんでしたが、営業運転中の新幹線が脱線したのは、1964年の開業以来初めてのことでした。
数字が語ること
内閣府と新潟県のまとめでは、死者は68人です。そのうち52人は、建物の下敷きなど地震で直接亡くなったのではなく、避難生活の疲れや体調の悪化などで亡くなった「災害関連死」とされています。
- 死者:68人(うち災害関連死52人)
- 負傷者:4,795人(気象庁のまとめでは4,805人)
- 住家の全壊:3,175棟
- 避難した人:最大で10万人以上(603か所の避難所)
地震の揺れそのもので亡くなった方は16人。それより多い52人が、揺れがおさまったあと、車の中や避難所での生活が続く中で命を落としました。68という数字は、揺れがおさまったあとも命を守る取り組みが必要だということを、私たちに伝えています。
忘れないために
この地震では、車の中で寝泊まりした人たちに、足の血管に血のかたまりができる「エコノミークラス症候群」が多く見つかり、避難生活での健康をどう守るかが大きな課題になりました。雪が降る前に仮設住宅が建てられ、同じ集落の人が近くに暮らせるように工夫されるなど、その後の災害にも生かされる経験が積み重ねられました。
2007年には中越沖地震も起き、この地方の多くの人が二度の被災を経験しました。新潟県は、全国から受けた支援への恩返しとして、その経験と教訓を伝え続けています。家具の固定や、避難するときに体を動かし水分をとることなど、身近な備えを見直すきっかけにしたいものです。
犠牲になられた68人の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
Never Forget Number では、この数字「68」を記録します。
数字の出典
この数字を、忘れないために。
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