「チョルノービリ原子力発電所事故」(英: Chernobyl disaster )
1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現在のウクライナ)のチョルノービリ原子力発電所4号炉で原子力事故が発生し、事故による被曝にて、放射線急性性障害や小児甲状腺ガンよる死者をはじめ、近隣、近郊の住人の被爆による死者数、さらに、約60万~80万人ともいわれる事故処理作業者(リクビダートルと呼ばれる)の中で放射線被曝により、ガン発症での死者を含め、約50000人もの犠牲者を出すものとなりました。
事故の原因は、チョルノービリ原子力発電所は 4 基の原子炉で構成され、1977年から順番に開始され、それぞれ 1,000 メガワットの電力を生成していましたが、1986 年 4 月 25 日から26日にかけて、原子炉 4 号機の技術者が設計不十分な状態で実験を試みたときに発生しました。原子力発電史上最悪の災害となりました。
原書力発電所事故では、事故から発生し続ける放射能汚染、近隣、近郊の住人の被ばくによるガンの発病、危険区域に近づく必要のある事故処理作業者(リクビダートルと呼ばれる)の作業のための被曝、立ち入り禁止制限により故郷を追われる被災者、多大な風評被害など、未だに課題が続くものとなっています。特に甲状腺がんの発症について、子供の発症から、成人の増加は目を見張るものがあります。放射線被ばくの恐ろしさがわかります。
事故後の隣国ベラルーシ国内における人口10万人あたりの甲状腺患者数の変化 黄色:成人(19 – 34歳) 青色:青年(15 – 18歳) 赤色:小児(0 – 14歳)
本事故による死者数に関しては、「チョルノービリ・フォーラム」や各団体の公式見解でも、影響する対象エリアをどこまでとするか(中心部からの指定距離までや、全世界を対象としたものまで)とその確率に対する議論が繰り返されています。 Never Forget Numberでは、最も考察の多い京都大学(日本)の今中哲二の資料を基に、少なくともその数として、50000人としました。また、2022年3月31日に外務省より、ウクライナ語の発音に基づき、「キエフ」を「キーフ」に、「チェルノブイリ」を「チョルノービリ」などに改変しています。
犠牲になられた方々の御冥福を心からお祈りするとともに、御遺族に対し謹んでお悔やみ申し上げます。追悼の意を込めて、「決して忘れてはいけないこと」、「決して忘れてはいけない事故」として、Never Forget Number50000 を掲載致します。
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