269 大韓航空機撃墜事件|Off Sakhalin, Korean Air Lines

「大韓航空機撃墜事件」

1983年9月1日に、大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜され、乗員・乗客合わせて269人全員が死亡しました。大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん、英: Korean Air Lines Flight 007、朝: 대한항공 007편 격추 사건)と呼ばれています。

大韓航空007便は、アメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を出発し、アラスカのアンカレッジ国際空港を経由で、大韓民国・ソウルの金浦国際空港に向かう途中でした。当日使用された機体はボーイング747-230(機体記号HL7442)で、ファーストクラスとエコノミークラスの2クラスが用意され、乗客240人、乗務員は千炳寅(チョン・ビョンイン)機長以下29人(うち6人が「デッドヘッド」= 業務移動のため乗務した非番の乗務員)の合計269人が搭乗していました。韓国人は、乗員乗客合わせて105名、アメリカ人が62名と発着国の方が多く搭乗していましたが、ソウルで乗り継いで自国へ向かう乗客(日本が28名、中華民国が23名、フィリピンが16名など)も多く搭乗していました。

9月1日の事件瞬間のボイスレコーダーの記録では、

00:51 – ソ連の防空レーダーが、カムチャツカ半島北東を飛行する航跡をとらえ、アメリカ軍機と判断しました。
01:30 – 007便は、ソ連の領空を侵犯した状態で、ソ連軍機は迎撃を行いましたが接触できずに帰投しました。
02:28 – 007便は、カムチャツカ半島を通過し、ソ連のレーダーから消えました。
02:36 – 007便は、樺太に接近し、ソ連軍は警戒態勢に入りました。
02:54 – この時点から007便のボイスレコーダーの録音が残っていましたが、操縦士らは雑談をしていました。
03:05 – 007便は、同航路を2分遅れで飛行するKAL015便と通信を行い、お互いの風向風速がまったく異なっていることに気付きます。しかし、操縦士らはフライトプランを見て誤差の範囲内だと判断し、航路ミスで、ソ連領域を飛行中であることに、気付きませんでした。
03:08 – ソ連軍機(Su-15TM迎撃戦闘機)が007便を視認。しかし、暗いため機種の判別まではできませんでした。航法灯と衝突防止灯が点灯していることを報告しています。
03:20 – 新東京国際空港(現・成田国際空港)内にあった東京航空交通管制部東京国際対空通信局が、007便に3万5000フィートへの高度変更を許可(燃料節約のための高度上昇)を出しました。
03:21 – ソ連軍機(MiG-23P迎撃戦闘機)、警告射撃。しかし、曳光弾は搭載されておらず、徹甲弾(光跡を伴わず、弾丸の航跡が見えない)のみ発射しましたが、007便は、気付かずの状態でした。
03:23 – 007便は、高度上昇し3万5000フィートに到達しました。これに伴う速度低下で、ソ連軍機は007便の真横まで追いついています。当時の技術では旅客機が軍用機の接近を感知するのは困難でした。真横に軍用機が接近した状態でも、警告音は鳴らず、007便に気づくことができませんでした。
03:23 – ソ連軍は、威嚇射撃にも航路変更なく、飛行するため、攻撃命令発令しました。
03:25 – ボイスレコーダーの記録では、007便は、着弾するかなり前から、ほとんどの乗客は起きていて機内食をとっていました。ゲンナジー・オシポーヴィチ中佐の操縦するSu-15TMがミサイルを発射、通常の手順に従い、赤外線誘導式とレーダー誘導式の計2発を発射しました。30秒後 (03:26:02)、007便の尾翼の後方50メートルで赤外線誘導式が爆発しました。機体に約1.75平方フィートの穴が開いて急減圧が発生しました。機内に大きな衝撃と轟音が鳴り響きました。
03:26 – 007便の機長は、東京コントロールの管制官に「急減圧の発生」と「高度1万フィートへ降下する」旨交信をしたものの、雑音により途中で交信が途絶しました。ボイスレコーダーの記録では、客席からの悲鳴が2度にわたって記録されましたが、その後は、ボイスレコーダーの音質が次第に悪化していきました。
03:27 – 着弾から1分44秒後 (03:27:46)、ブラックボックスの記録が途絶えました。
03:38 – ソ連及び北海道稚内市にある航空自衛隊稚内分屯基地のレーダーサイト(北部航空警戒管制団第18警戒群)から007便の機影が消えました。

ICAOの推定では、乗員・乗客は、鈍的外傷のため全員即死したと推定されています。乗客は墜落まで全員意識を保ったまま生存していたとされており、その恐怖と苦痛は大変大きいものであったとのことでした。

大韓航空は、残念なことに、この5年前にあたる1978年4月20日にも航法ミスで、ソ連領空(コラ半島上空)を侵犯し、ソ連軍機に迎撃され、2人が死亡、13人が負傷する事件を起こしています。(大韓航空機銃撃事件)

本当に、二度と起こってほしくない、起こしてはならない出来事となりました。犠牲になられた方々の御冥福を心からお祈りするとともに、御遺族に対し謹んでお悔やみ申し上げます。
追悼の意を込めて、「決して忘れてはいけないこと」、「決して忘れてはいけない事件」として、 Never Forget Number 269 を掲載致します。

    写真・画像     

    映像・動画     

墜落地点は、

「祈りの塔」
「犠牲者霊位」

「祈りの塔」は、「大韓航空機撃墜事件」追悼のため、1985年9月1日に遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、遺族会の資金と、稚内市をはじめとする日本全国からの浄財をもとに、サハリン方向に向けて宗谷岬(北海道,日本)の高台に立てられています。

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この記事を書いた人

NeverForgetNumber.com(NFN) 監修のJack Silverです。NFNでは、世界で起こる様々な紛争、事件、災害、事故、歴史的な記録や事象、文化、芸術、伝統について、1つの「数字」をキーワードに掲載しています。「決して忘れられないこと」「決して忘れてはいけないこと」「子供たちに必ず伝えておきたいこと」を掲載しています。是非ご家族でご覧ください。また、「あなたの国で起こっていること」「あなたの周りで起こっていること」「世界中の人に知っておいてほしいこと」がございましたら、是非、教えてください。NFN.Inc Jack Silver

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