「第二次世界大戦」(英: World War II、略称:WWII)
1939年から1945年までの6年間にかけて、イギリス、フランス、アメリカ、中国、ソ連などの連合国と、日本、ドイツ、イタリアなどの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国との戦争があり、兵士と民間人含め、約85000000人もの尊い命が失われました。(死者数は、ブリタニカ百科事典「World War II」を参考)
「第二次世界大戦」の発端は、1939年8月23日の独ソ不可侵条約と付属の秘密議定書に基づき、1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻し、その後、同年9月17日にソビエト連邦(現在のロシア)が、同じく、ポーランドへ侵攻したことによります。この侵攻は、ポーランド侵攻と呼ばれています。このポーランドへの侵攻をきっかけに、「第二次世界大戦」が勃発しました。
ポーランド侵攻に対して、イギリス・フランスがドイツへの宣戦布告により、ヨーロッパは戦場と化しました。その後、以前から日中戦争を戦っていた日本が、1941年12月8日にイギリスやオランダの東南アジア植民地地域とオーストラリアへ攻撃を行い、そして、真珠湾攻撃を行ったことで、アメリカとの開戦しました。このアメリカとの戦争は、太平洋戦争(大東亜戦争)と呼ばれています。同月、ドイツとイタリアもアメリカに宣戦布告し、交戦は全世界へと拡大し、人類史上最大の戦争となりました。
当初は、枢軸国軍が優勢でしたが、1942年には、ヨーロッパ戦線で、1943年には、アジア太平洋戦線で、連合国軍が優勢に転じ、1945年5月にドイツが敗北し、1945年8月に、アメリカ軍が日本の広島と長崎に原子爆弾を投下され、1945年9月2日に日本が降伏文書に調印したことで終結となりました。第二次世界大戦は、史上唯一、核兵器が使用された戦争となりました。約85000000人の犠牲者を出しました。
本当に、二度と起こってほしくない、起こしてはならない出来事となりました。犠牲になられた方々の御冥福を心からお祈りするとともに、御遺族に対し謹んでお悔やみ申し上げます。
追悼の意を込めて、「決して忘れてはいけないこと」、「決して忘れてはいけない戦争」として、Never Forget Number 85000000 を掲載致します。
実話)三重県名張市駅ホームに入る列車の後ろから戦闘機が追撃し、駅が「血の海」となった話
日常使う駅が「血の海」になり、目の前で兄が頭を打たれて亡くなるというのは恐ろしい。
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